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​祝聖山 共生院 信樂寺

淨土宗 一悦庵

寺院設立までの経緯と今後の展望

寺院設立までの経緯について

当山は令和元年10月1日に包括法人浄土宗より正式に認可を受けたばかりの新寺です。

寺院の詳細は以下の通り

宗旨:浄土宗(鎮西派)

本尊:阿弥陀如来立像

脇侍:観音菩薩・勢至菩薩ともに不在

名号:南無阿弥陀佛

山号:祝聖山(しゅくしょうざん)

院号:共生院(ぐしょういん)

寺号:信樂寺(しんぎょうじ)

通称:一悦庵(いちえつあん)

一悦庵はいつからか瞽女(ごぜ)と呼ばれる盲目で三味線などを弾く芸者の宿屋として使われていた庵でした。戦後22-23年頃まで瞽女さんが3-4人程度で暮らしていたらしいですが、確かな記録はありません。また、一悦庵の中には本尊となる阿弥陀如来立像が安置され地域住民の方々から大事に守られてきたそうです。その御本尊が一悦庵へと安置された正確な時期や理由なども正確には何もわかりません。しかしながら御本尊そのものは約400年前からのもので、紆余曲折あって現在まで大切に近隣住民の方々から宗派を超えて大切に守られていたことには驚きです。

それが不況の続いた平成の終わりとともに近隣住民の力だけでは維持管理が難しくなり川向うにある同じく阿弥陀様を祀る浄土宗寺院「相即寺」へと維持管理が任されることとなりました。一悦庵の歴史を紐解くに長年から一悦庵に残る「佐貫念仏講」に相即寺歴代住職が出向していたそうです。一悦庵前の細い通りは「相即寺通り」と呼ばれていたことからも繋がりが深いことが見て取れます。ただ、残念なことに、これらについて相即寺ではなんの文献も残っていないようです。

令和元年5月、相即寺第29世稱譽明裕より任命を受け同寺所属教師の「豐島亮康」が住職として出向。包括法人浄土宗への新規寺院設立申請を経て上記の通り令和元年10月1日付けで正式に浄土宗寺院となりました。寺院を設立するにあたり山号、院号、寺号を設定致しましたが地域で昔から親しまれていた「一悦庵」を残し通称として使用させて頂くこととしました。

​今後の展望について

一悦庵は全世界のすべての人に平等なご供養を提供致します。

恵まれない人や不運な境遇の方にも何変わることのないご供養を受ける権利があります。様々な柵に左右されることのないご供養・救いとは本尊阿弥陀如来の本願であり私ども一悦庵の目指すべきものであると考えております。

どんな命も御仏の前では皆平等であり、そこに上も下もありません。水子・青年・成人・動物など隔たりなどなく皆平等に救われるべきものです。そういったすべてのものを平等に慈しみをもって愛し、供養することこそが阿弥陀如来の目指した救済であると

私ども一悦庵は信じております。

また、我が浄土宗は万人救済の教えであることから日本だけに留まらず世界へと目を向け発信致します。「南無阿弥陀佛を楢原から世界へ」をコンセプトに英語を用いた布教や活動にも挑戦して参ります。英語で読経・説法・ボランティアなど、ご依頼・ご要望などは「お問い合わせ」よりお願い申し上げます。

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